統帥権論争

1)日本国憲法上,天皇は,日本国の象徴とされています。

2)しかしながら,天皇が歴史的に,日本国(地理的な意味において・北海道から沖縄まで)の象徴であった期間は,戦後のわずかな期間であると思われます。

以下,Wikipedia並みですが,紹介します。

3)アテルイ(? - 延暦21年8月13日(802年9月17日))は,平安時代初期の蝦夷の軍事指導者。

789年(延暦8年)に胆沢(現在の岩手県奥州市)に侵攻した朝廷軍を撃退したが,坂上田村麻呂に敗れて処刑された。

4)征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)は,朝廷の令外官の一つである。「征夷」は,蝦夷を征討するという意味。

5)武家政権(幕府)を創始した源頼朝は「大将軍」の称号を望み,朝廷は坂上田村麻呂が任官した征夷大将軍を吉例としてこれに任じた。

以降675年間にわたり,武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府室町幕府江戸幕府が(一時的な空白を挟みながら)続いた。

慶応3年(1867年),徳川慶喜大政奉還を受けた明治新政府王政復古の大号令を発し,征夷大将軍職は廃止された。

6)夷狄を排除する権限としての征夷大将軍という冠を幕府・将軍が欲しがり,それを朝廷が与えたというのが歴史のようです。

明治維新すなわち,ほんの150年ほど過去まで,征夷大将軍が置かれていた=現在の日本国というまとまりではなかったことは覚えておいて良いと考えております。

さらに付加するならば,北海道旧土人保護法の制定は,明治32年(1899年)であり,100年余り過去のことです。

また,南の地,沖縄における米軍統治は,現在もなお続いております。

日本国の象徴という言葉を耳にすると,かような歴史的背景や地理的範囲などが,どうしても思い起こされてなりません。

少なくとも,天皇制が日本国の歴史において骨格を形成していたなどと軽々に論ずることなどは出来ません。