コインロッカー・ベイビーズ

コインロッカー・ベイビーズ

漫画喫茶で赤児を産み落とし,客に泣き声を聞かれることを怖れて,首を絞めて殺害し,コインロッカーに遺棄したという事件であるらしい。

この報道に接して,40年近く前に書かれた村上龍コインロッカー・ベイビーズを連想した。

嬰児は,母親の手によって絞め殺されて,殺害されたのであろうか。

あるいは,死亡後にコインロッカー内に棄てられたのであろうか。

法的には,殺人の成否という問題となる。

気管支を水に浮かべて,浮かんだのであれば,大気を吸ったことの証明,すなわち生きて産まれたことの証明となる。

他方,気管支が水に沈めば,大気を吸っていないこと,すなわち死産と認定される。

だが,今回の場合は,遺棄された後,性別も不明なまでに腐乱していたとも報道されている。

そうすると,気管支の浮遊実験も出来ない。

漫画喫茶内の客から,産声を上げたか否か聴取することになるであろうが,その信用性は別問題である。

何故に,コインロッカー・ベイビーが復活してしまったのか。

慈恵病院・こうのとりのゆりかごの如き制度が模索されているが,他方で,出自を知る権利が問題とされている。

何が大事な事柄なのか。

私には,解らない。