明治天皇の地方巡幸

明治天皇の地方巡幸。

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出典は,コトバンクです。

天皇という存在を民草に知らしめるためのプロパガンダが,明治初年から10年にかけて行われたということです。

天皇制というあぶくのような存在のために死をも厭わないという風潮は,統帥権干犯と共に軍部が持ち込んだイデオロギーに過ぎません。

この天皇巡幸の原型は,天皇の京都から東京への行幸にあったが,そのときの意図の一つは,江戸幕府にかわる天皇は,歴史的,民族的に支配の正統性をもつ,仁恵(じんけい)深い君徳を備えた存在であることを民衆にアピールすることにあった。

巡幸は,これを全面的に日本全国に拡大し,全国を網の目のように覆ったのである。

そのことによって,明治国家支配のシンボルとしての天皇像を民衆に浸透させ,民衆の生き神信仰と天皇とを結び付けて神権的粉飾を進めた。

また,それは天皇を迎える地方官の権威を高めると同時に,天皇が休憩・宿泊で立ち寄る地方行政機関や地方名望家の地方支配を強固なものにし,さらに陸軍の大演習と関連づけることによって天皇と軍部とを直結させる役割などを果たした。

その意味で明治天皇の地方巡幸は,近代天皇制の確立・完成過程における国家的プロパガンダであった。

太平洋戦争敗戦後の天皇の各地への巡幸の発想は,これに倣ったものといえる。