長崎に原爆が投下された日

昭和20年8月6日,広島市に,ウラン型原爆リトルボーイが投下されました。

8月9日,長崎市には,プルトニウム型原爆ファットマンが投下されました。

性質の違う二つの原爆を使用したのは,人体実験の素材とするためであるとしか考えが及びません。

なお,8月9日の原爆投下目標は,第1番目に小倉であったが,視界不良のために長崎へ原爆投下することになった経過など,歴史は,偶然によって動かされているのだなと感じます。

また,京都に原爆を投下する案もあったが,千年の都・京都に原爆を投下したら,日本国民の強い反発を受け,戦後統治の支障となるとの判断から,投下目標から外したそうです。

このあたりの機微は,天皇の戦争責任を問うため,東京裁判の被告とするよりも,天皇制を温存した方が,戦後統治がスムースに運ぶという判断と類似するものがあります。

京都への原爆投下案を却下し,あるいは,天皇制を温存させるメリットが判断出来るくらい米国における日本研究・日本人研究が進んでいたのだなと感じます。

だが,反面として,そこまで日本研究をしていたのであれば,もはや戦局は決定済みなのであり,二つの原爆を投下する意味と必要はなく,人体実験目的(及びソ連よりも先に投下する)ことしか考えが及びません。