無意味なるテロの時代

無意味なるテロの時代

イスラム国による一連のテロ行為をみて,オウム真理教による虚偽・空想的クーデター未遂計画を連想した方は,どれくらいおられたであろうか。

少なくとも,一昨日のNHK解説スタジアムという番組の中で,我らと同年代と思われる島田解説委員は,確かにこの連想を抱いたことを発言された。

先にも書いたとおり,自由・民主・平等という緊張ないし敵対関係にあると意識されてきた概念が,いずれも新自由主義の名の下に崩壊した。

まず,新自由主義というはやりやまいは,格差社会をもたらした。

格差の底辺にある者は,上からしたたり落ちる水を飲めという発想である。

極貧層には,餓死・孤独死する例が散見される。

地域社会や親戚はもちろん親からも見捨てられた子どもたち,消えた子どもたちの問題の背景にも,格差の最底辺・極貧層の問題あるいは貧困の連鎖の問題が見え隠れする。

そもそも極貧によって,食事も満足に食べられないなどという状況は,先に書いた縄文期に遡る飢餓からの自由ですら満たされていないということではないか。

上から水がしたたり落ちるのを待てなどとは,絶対君主が奴隷に向かってする発言なのではなかろうか。

格差社会=不平等社会であることは,字義どおりであり,論理必然である。

自由も平等も失われた格差社会の中で,投票してもしなくとも社会は変わらないというニヒリズムが蔓延した。

衆院選投票率低下の背景には,各種の背景があるも,間接民主主義の限界性を感じたものの数は少なくなかろう。

図式化したい。

新自由主義格差社会=飢餓の自由=不平等社会=間接民主主義の崩壊

余りにも簡略に過ぎるが,思考のトレーニングとしておつきあい願いたい。

さて,間接政治に絶望した者は,どこへ向かうか。

それが冒頭に例示したイスラム国でありオウム真理教である。

宗教上の経典など歴史文書であり,時代の制約そして所属する教派の意図で改竄され,さらに解釈される。

例えば,共観福音書の文献学的読みについては,一字一句厳密に翻訳されており,研究者以外立ち入ることが困難なほど精緻な研究がなされているものの,素人衆がどう読もうが勝手である。

一例を挙げるならば,自分の都合の良いイエス像など65億とおりでっちあげることは可能である。

かような教派を設立して空想的クーデター計画を実践すればどうなるか。

貧者の核兵器と言われる細菌兵器の例など,オウム真理教に倣えば幾らでも例示出来るが,内乱教唆などとの罪名を科せられてはならないので,これ以上書くことはしない。

伝統的な日米関係・ロシアの軍事力・中国の経済力

この中で日本の立ち位置をどこに見いだすのか。

まさに三国睨み合い状態の中で必ずや隙間が発生する。

ウクライナがその一例である。

かような冷戦後の三国睨み合い状態の隙間の中で,決して成功するとは思えないものの,イスラム国の如き,ただ単なる破壊・殺戮行為のみを目的とする無意味なるテロの時代を迎えるであろう可能性を誰が否定し得ようか。