立憲民主主義

立憲民主主義

私のか細い理解では,価値相対主義の行き過ぎを抑える原理が立憲民主主義であった。

ワイマール憲法ヒトラー独裁を許した反省に基づく原理原則だと理解している。

ところで,立憲制と称したところで,この国には1億2千万の憲法解釈が存在しうる。

1億2千万の正義の観念が併存しうる。

確かに,イスラム国の如き暴挙を許容する解釈には出くわさないものの,民族差別的な排外的言動を憲法上の表現の自由の問題だとする理解は現存する。

また,一国の総理大臣の言動であり,内閣による憲法解釈だと理解して宜しいと思われるが,平和的生存権集団的自衛権の根拠条文だとされる。

平和という概念と戦争・戦闘状態という概念は,つい数年前まで対立概念として捉えられてきたと思うが,平和と戦争を一体的に解釈するのが現在の公権解釈のようである。

なるほど,一神教の如き唯一絶対の正義の観念など断固拒否する。

だが,その反面,いかに多元的価値社会とはいえ,無限の正義が存在することを容認すれば,立憲制の価値は喪失する。

立憲制という概念が歯止めとならないのであれば,何らかの原理原則が必要となると思われる。

指針のない価値相対主義は,ニヒリズムに陥り,退廃的・退嬰的時代精神をもたらすという懸念を払拭し得ない。