時代精神

自由・平等・民主

法律家にとって,これらは緊張関係あるいは敵対関係にある概念だと理解されてきた。

まず,人が生きていくためには何が必要か。

パンが食べられなければケーキを食べれば良いというフランス王女の卓見があるも,まずは飢餓からの自由であろう。

狩猟と採取の時代から農耕の時代へと時代は変遷したが,旱魃などの天災あるいは苛酷なる年貢取立などの人災は避けられなかった。

歴史的には,食べる自由・飢餓からの自由が先行する価値基準だと思われる。

江戸期は身分性差別の時代であり,少なくとも明治初年までは,飢餓からの自由が優先的価値として意識されてきたように思われる。

そして明治初年に没落武族の反乱すなわち明治10年戦争が勃発し,その鎮圧に前後して,自由民権主義という言論運動が起きて帝国憲法制定へと歴史は動く。

このころ,各地で民衆憲法の制定という動きがあるが,これについては色川大吉・明治精神史が詳しい。

さて,明治憲法制定そして帝国議会招集の運びとなったものの,その頃実施された選挙は,高額納税者たる男性に限定された制限選挙である。

プロレタリアートの選挙権など危険視されたのであり,選挙権の平等なる概念などない。

その後,大正浪漫期を迎えるも,やがて時代は昭和恐慌の時代となる。

飢餓からの自由を求めるためには,体制そのものの変革を目指す必要が意識された。

昭和恐慌の折には,娘を身売りに出さざるを得なかったのであり,体制そのものの変革を求めた。

二・二六事件という青年将校らの軍事クーデター未遂事件は,北一輝日本改造法案大綱』がその精神的基盤であると評価される。

これを突き詰めれば,「貧しきを憂えず,均しからざるを憂う」という国家社会主義の精神であろう。

この軍事クーデターも未遂と終わり,時代は15年戦争,太平洋戦争へと向かい敗戦を迎える。

昭和20年代初頭,日本国憲法が制定され,婦人参政権が認められて普通選挙が実施される。

いわゆるポツダム民主主義の時代であり,自由・平等・民主の概念について緊張関係にあるとは意識されない時代が長く続いた。

高度経済成長期を経て,一億総中流社会という意識構造の中で生きてきた。

平成に入り,バブルが崩壊し,さらに新自由主義の名の下に格差社会が確立して現在に至る。

消えた子どもたちの問題など悲惨な事例が後を絶たないが,時代の矛盾は,より弱い者へとその矛先を向けるという歴史の必然である。

格差社会とは,平等原理の否定である。

その精神的背景にある新自由主義とは,古典的自由概念の否定である。

先の衆院選における投票率52.3パーセントという数字は,民主主義原理の崩壊への序章ともいうべき数字である。

自由・民主・平等という緊張ないし敵対関係にあると意識されてきた概念が,いずれも新自由主義の名の下に崩壊した。

極めて危険な時代である。

国政選挙=間接民主主義によって政治を営む原理を否定すれば,どのように歴史が動くか。

直接民主主義の時代に向かうとは考えられない。

二・二六事件の教訓を忘れ去ることは出来ない。

オウム真理教という独裁者による疑似クーデター計画未遂事件が鎮圧された。

だが,格差の底辺にある者の反乱の時代・ゲリラ戦の時代を迎えないという保証はどこにもない。