長崎原爆訴訟・国の主張

2 控訴人の主張の概要

(一)放射線被爆の人体に及ぼす影響については、一八九〇年代後半に放射線障害が発生して以来、症例及び調査研究が蓄積されるとともに、原爆被爆直後から行われている多方面の調査研究の蓄積によって、かなり詳細な科学的・医学的知見が形成されている。原爆医療法七条一項所定の起因性の有無を判断するにあたっては、判断時に形成されている一般的な科学的・医学的知見を踏まえて行うべきである。

 そして、右一般的知見によれば、放射線被爆の人体に及ぼす影響には、確率的影響と非確率的影響(確定的影響)とがあり、確定的影響の範疇では、一定線量以上でなければ影響が検出されない閾値(なお、この閾値は、生体に個体差があることを前提として幅をもって設定されている。)がある。また、確定的影響に属する範疇の人体影響については、放射線が人体に化学的変化を及ぼしたり、一定の損傷を与えても、当該組織全体としては影響を受けなかったり、影響として検出される前に回復されたりして、障害として検出されないことから、当該被爆者の被爆線量が重要な要素となる。

 被控訴人の右片麻痺(脳萎縮)、頭部外傷は、いずれも確定的影響の範疇に属するものであるから、被控訴人の被爆線量を解明した上で、その線量が被控訴人主張の傷害や治癒能力の関係で影響を与えるような線量であったか、換言すれば、当該傷害や治癒能力との関係で閾値を超えた線量に達していたか否かを検討すべきこととなる。

(二)被爆線量の解明について

 線量推定方式であるT六五DやDS八六は、被爆直後から行われた線量測定の結果やアメリカ合衆国における核実験の結果等を統合して作成されたものであって、それぞれの時点における科学的水準に基づき、収集されたデータを解析統合した最良のものであるから、被控訴人の被爆線量を推定する場合も、これらの線量推定方式にも基づくのが合理的である。

(三)被控訴人の被爆線量について

 被控訴人の被爆距離は約二・四五キロメートルであって、この被爆距離をもとに、被控訴人の被爆線量を推定すると、本件処分当時適用されていたT六五Dによれば、被控訴人の被爆距離での初期放射線の空気中線量は約四・一ないし二・九ラドであり、DS八六によれば三ないし二・一ラドである。一方、残留放射線による被爆線量については、被爆距離と経過時間に応じて急激に減少することが知られており、DS八六によれば被爆距離二・四キロメートルでは、○・○○○○一ラド以下に過ぎないことが明らかである。

(四)被控訴人の傷害、治癒能力と放射線起因性の有無について

(1)被控訴人の頭部の傷害の発生経緯に照らすと、頭部外傷は原子爆弾の爆風によって飛来した屋根瓦によるものであって、放射線によるものでないことが明らかである。

(2)右片麻痺(脳萎縮)について検討するに、被控訴人の推定最大被爆線量は、T六五Dによれば約四・一ないし二・九ラドであり、DS八六によれば三ないし二・一ラドとされているところ、脳の神経細胞を損傷する放射線閾値は、一〇〇〇ラドと考えられているから、被控訴人の右被爆線量は神経傷害等の確定的影響を起こす閾値よりもはるかに低く、被控訴人が被爆した放射線量を最大に見積もっても、傷害作用をもたらさない上、被控訴人の右片麻痺(脳萎縮)は、前記頭部外傷によって脳実質が損傷し、それに伴い脳萎縮、脳室拡大により運動神経の麻痺に至ったものとして傷害内容、発症経過等を合理的に説明できるから、放射線によるものとは考えられない。

(3)放射線被爆の治癒能力に与える影響を検討するに、被控訴人の被爆線量では免疫能低下を引き起こす線量にも達していないことが明らかである。

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