征韓論? 平和使節論?
維新の立役者,西郷隆盛(1828~77)が唱えたと言われ,明治政府が割れる契機になったとされる,朝鮮出兵を前提とした「征韓論」。
しかしながら,最初に唱えたのは西郷ではなく,西郷は平和的解決を目指していたとの説が注目されている。
毛利敏彦・大阪市立大学名誉教授の『明治六年政変の研究』によれば,これらの通説は見直してみる必要がありそうだ。
同書によると,「(朝鮮の)居留民保護のため兵士一大隊を急派せよ」と,閣議で征韓論そのものといえる意見を吐いたのは板垣だったらしい。
西郷は「陸海軍の派遣はかえって朝鮮官民の疑懼(ぎく)をまねき,日本側の趣意に反する結論となろう」と反対する立場をとった。
TITLE:(文化の扉 歴史編)異説あり 西郷隆盛=征韓論者 長州閥による政敵攻撃の戦術?:朝日新聞デジタル
URL:http://digital.asahi.com/articles/DA3S13014969.html
今朝の朝日新聞である。
100年ないし150年程度の過去の事柄であっても,どちらが史的事実かを決めつけることは出来ない。
大河ドラマ「せごどん」が制作されるようだが,史的西郷像である必要はない。
(この征韓論争一つにしても,争いの決着を見る日は遠い将来だと思われる)。
歴史的フィクションで彩り豊かに描けば良いと思う。