責任能力

責任能力なしを理由として,無罪判決を得る。」とのスローガンを良く耳にする。

このスローガンを真正面から捉えると,「この人には,物事の善し悪しを判断する意思も能力もなければ,その判断を制御して行動する能力もない。」ということであろう。

要するに,「責任能力なし」とは,何をしでかすか解らないという意味ではなかろうか。

この者を無罪放免することが,当人にとっても,社会にとっても良いことなのだろうか。

判断の枠組みとして,「責任能力なし=無罪釈放」が間違っている。

精神保健法もあれば,医療観察法もある。

これら法令が機能しなかったのには理由がある。

例えば,人に重症を負わせても6か月で退院できた。

民間病院に収容すれば,手のかかる患者は早く退院させようというベクトルがかかるからである。

しかも院内トラブルなどコストがかかる。

現在は,民営刑務所も数カ所出来たが,おおむね官営刑務所である。

かように官営・民営の判断を逆転させ,官営精神科病棟を原則化する手法はあり得る。

自由意志論を維持しつつ,被告人に,「責任能力なし=無罪判決だけは避けたい。」と言わせることは,官営刑務所ないし刑務所内の精神科舎房によって可能であると考える。