ヘイトスピーチ
かように整理することが可能だと思う。
新自由主義は,極端な自由競争原理であり,全ては自己責任の社会である。
競争に敗れた下の者は,上からこぼれ落ちる水を飲んで暮らすしかない格差社会である。
格差の底辺にある者は,より貧困なる者を探して,これを虐げることにより溜飲を下げるしかない。
江戸期においては士農工商及び被差別民であった。
現代では,これが排外主義と結びつき,差別排外主義となっている。
前々東京都知事が,尖閣諸島を購入使用と考え,カンパを集めるなどした。
だが,領土問題は,国政課題であって地方自治体の権限が及ぶところではない。
やむなく尖閣諸島を日本国が私人から買い上げた。
尖閣が明確に日本国領土と位置付けられ,中国の反発を招くところとなる。
この事情は,竹島問題でもほぼ類似の構造である。
かようにして格差社会の底辺にあえぐ者は,より弱者であると本人らが思い込んでいる在日外国人をいたぶることで,日頃鬱積した感情を晴らして溜飲を下げる。
これがヘイトスピーチ問題であり,弱者がより弱者(と勝手に思い込んでいるに過ぎない者)を差別するという差別排外主義の問題である。
解決の方法は,明らかであり,格差社会というシステムを変革するしかない。
日本古来の結いの思想は,例えば農繁期に村民が互いに助け合って稲刈りをし,台風の襲来など自然災害から村落共同体全体を守るという共同体思想である。
共同体において相互に助け合うことが結いの思想である。
そうしなければ,台風など自然災害によって,個々の農民が犠牲になるばかりか村落共同体全体の不利益となる。
助け合うことで共同体を存続させてきたのである。
そこに競争原理や自己責任論などはない。
村落共同体全体の利益を防衛するためには,時に激しい労働を伴う。
そこから生まれてきたのが三年寝太郎伝説であり,小原庄助さんである。
これら古代伝承は,結いの思想の反面を表す共同幻想である。
自然災害から身を守るために,村落共同体は結束した。