新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。

この一年が皆様にとりましてより良き年となりますように。

そして120年後の将来(現代における医学的・理論的なヒトの生存可能年数が経過した後)には,天国で幸せな生活をおくられますように(カルバン派:天国のノート説)。

天国がお嫌いな方は,西方浄土,極楽,あるいは輪廻転生の世界,共産主義社会を理想とする方はその世界に,無宗教の方はブラックホールの如き絶対無の世界へ,これでもイヤだとおっしゃる方は自らの理想郷へどうぞ。

私の如きあらゆる価値が均しく平等に受容され,この地上に65億の正義が存在しうるという価値相対主義者は,その社会へ。

1)では,価値相対主義者にとっての理想郷とは何か。

それは,自己が他者の思想や信念を侵すことなく,対等の存在として認められる社会です。

そうなると,思想などの権力的な押しつけを拒否する社会となります。

したがって,権力のない社会こそが理想郷です。

したがって,無政府状態こそが価値相対主義者にとっての理想郷です。

2)皆様が,天国その他の理想郷に入られた後のことですから,少なくとも120年後です。

そこにルールはないのでしょうか。

価値相対主義者の理想とする無政府主義といえどもルールがあります。

3)では,ルールとは何でしょう。

理想郷の形態は65億とおり在りますから,ここでは天国だと仮定します。

ユダヤ民族絶対主義の経典である旧約聖書には,創世記という歴史的古代文書があります。

アダムとエバという二人だけの世界です。

ここでのルールは,知恵の実を食べてはならないというルールでした。

神様が,このルールを制定し,このルールに反したために二人はエデンの園という楽園から追放されました。

4)皆様が入る理想郷例えば天国のルールは何でしょう。

エデンの園は二人だけの世界でしたから,ルールはひとつで足りました。

だが,65億の民が全て天国に入ったらどうなるでしょう。

アダムとエバは,ウワキをしておりません。

だが,65億もの民がいると男も女も選り取り見取りです。

ウワキをしたいという欲望の充足が天国だと考える者は,配偶者がいるにも拘わらずウワキをするでしょう。

別段,ウワキ相手との間に子どもが出来ても,ここは天国であるから,別段食べることに困りはしません。

だが,他方配偶者の嫉妬の炎を押さえることが可能でしょうか。

そうするとフリーセックスによって子どもを設けても良いが,他方配偶者の嫉妬を招いてはならぬというルールが出来上がるでしょう。

あるいは,経典どおり,一夫一婦制を維持しなさいというルールが施行される可能性もあります。

5)このルールは,他の理想郷及び価値相対主義者による無政府主義の理想郷でも共通するかと思われます。

とりわけ,あらゆる権力の介入を拒否するのであるから,神様という絶対権力の定めたルールだって拒絶します。

なかなか困った問題です。

6)カルバン派:天国のノート説であった佐藤優は,自分の名前は天国のノートに書き記されているが,自分を迫害した検察官などの名前は,天国のノートには書かれていない(=地獄に墜ちる。)と書いていました。

天国のノートに名前が書かれているか,地獄のノート(デスノートとでも表現すれば良いのでしょうか)に名前が書かれているかは,あらかじめ決まっているのだという説です。

例えば,中村うさぎさんとの対談集である「聖書を読む」や「聖書を語る」には,そのような記載があります。

ところが,宗旨替えしたようです。

佐藤優著:創価学会と平和主義:178ページに下記の記載があります。

「1979(昭和54年),私は同志社大学神学部に入学した。その年の12月,19歳の時に長老派(カルバン派)の日本キリスト教会で洗礼を受け,その後,プロテスタント教会の最大教派・日本基督教団に転会した。」

さて,宗旨替えの趣旨が明らかではありません。

日本基督教団とは,戦前の大政翼賛会時代に各種教会を統合した教派であり,この記述だけでは,天国のノート説まで放棄したのか否か不明です。

7)いずれにせよ,どなたかが天国に入るとして,神様の定めたルールつまりフリーセックスOK(但し嫉妬禁止)・一夫一婦制死守といういずれかのルールになりそうです。

このルールを破ると天国からも破門されるのでしょうか。

なにしろ神様の意思であるから解りません。

8)先に,ザインとゾルレンに関して,かような文章を書きました。

エスの律法学者に対する眼差しは厳しい。

律法学者に対し,このように言い放つ。「この者たちはより大きい裁きを受けるだろう。」(マルコ:12:40)。

律法学者らが考えるユダヤ教の正しい理解なるものあるいはユダヤ律法解釈としての正しい生き方=在るべきこと(ゾルレンの世界)を人々に押し付けることによって,将来待ち受けているのは,律法学者への「大きい裁き」である。

ゲヘナの炎で永遠に焼かれ続ける律法学者の末路が見える気がする。

律法学者(法律家)の将来は,ゲヘナの炎で永遠に焼かれ続けることだけが,確定しております。