文付枝

雅なる平安のむかし,男と女は,和歌による心のやりとりを盛んに行っていた。

和歌が,心のコミュニケーション手段である。

和歌を相手に贈る際,そこに花や葉あるいは枝を添えた。

この和歌に添えられた花や葉あるいは枝などを文付枝(ふみつきえだ)という。

文字情報という乏しくか細い情報伝達手段の中に,花・葉・枝を添えることで,思いを伝える情報量を圧倒的に増加させる。

この文化は,現代,携帯絵文字と化している。

・・・(笑)などが,その一例である。

平安人と比して現代人がいかに乏しいコミュニュケーション手段しか有していないことの一例である。

・・・(笑)やら,あらかじめ携帯会社が提供した絵文字など書き足しても,私は反感を覚えるだけである。

そもそも,平安における意思伝達手段は,文のやり取りであり,少なくとも交換に数日は要する。

ところが,現代では,LINEなどと証する即時意思伝達手段が開発された余りに,返事がないとしてイジメやらさらには殺傷事件まで起きる。

私は,携帯メールなど使用しないし,もちろん絵文字など使わない。

自分のペースで書くし,相手方に即時返信など期待していない。

電話あるいは携帯メール自体が,受信者の自由な時間を奪う装置だと考えている。

平安のむかしにあった文付枝といった雅な文化にこそ,意思伝達の基本があるように思う。

和歌ですら,情報量が限られていることを平安人はご存じだった。

私も,平安人にならい,電話やメール相談など受けず,直接面談に限って,相談を請けている。

サラリーマンにとって時間的都合がつくであろう休日にも法律相談を請けているのは,この文付枝の精神からである。